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【2021年11月21日】ポール・マッカートニー「音楽活動の理由は『死を考えなくてもいい』から」に思う

 

 

 

この発言にはハッとしました。70代になっても、もちろん生活資金の為でもないのにアルバムをリリースし続けている方の発言だなあと。因みに言えば、アルバム1枚をリリースするには、とんでもないエネルギー (含 想像力・創造力) が必要です。もちろん、体力も。だから殆どのアーティストは歳とったらアルバムのリリースが極端に少なくなるのでしょう。

ある意味、普通のことを喋っているんですが、ポールさんの口からこのような発言を聞けるとは思いもよりませんでした。

 

 

 

今ここで普通に生きていることに何の疑いも持ってない方は、多分自分の死について深く考えたことはないと思います。ウダウダと日常の不平不満を家人や友人やパートナーにぼやいたり、そしてちょっとの楽しみに浸りつつ、日々の暮らしを営み続けているのでしょう。

 

 

大病を患ったり、大事故に遭ったり、生まれついての重度の障がいを抱えていたり、身内が重病になったり、そしてポールさんのように、自身が歳を重ねて寿命を意識したり、そんな時にハッとして、はじめて自分もそのうち死ぬんだと意識するのではないかと思います。

 

 

 

私が曲作りに日々没頭している理由も、究極には生の (=死への) 不安感からではないかと。何もしてないと、不安になるんですよね。人生折り返して久しい年齢・少ない収入・健康状態・人間関係…。だから好きな何かに没頭してたらその不安感がなくなる、そんなことから、日々曲作りに没頭してるんだと、あらためてポールさんのシンプルなこの一言「音楽活動の理由は『死を考えなくてもいい』から」思いました。

 

 

逆に言えば「死を考えなくてもいい」程、ポールさんは音楽に熱中出来るのでしょう。それだけ、音楽愛が溢れているんでしょう。好きなことに熱中しているうちに、気が付いたら死んでいた (笑)、なんて、最高じゃないかなと。私ももし長生き出来たら、こんな素敵な爺さんになりたいものです (笑)。

 

 

 

♫イエスタデイ〜 ♫ヘイ・ジュード〜 等々の、必殺のワン・フレーズに匹敵する?発言を読んでの感想です。(大袈裟かな)

 

 

【2021年11月20日】「旅の終わりに」再度歌入れしました 〜 低音で歌うボーカリストあれこれ

先日、低音がちゃんと発声出来る喉の状態だったので、久しぶりに「旅の終わりに」を歌ってみました。当ブログで調べたら、歌って没テイクにしたのがちょうど10日前でした。

 

 

高音もそうですが、いい感じで聴こえる低音は、倍音がしっかりと出ているかどうかにかかっています。これは、録音したデータを再生すると、PCのディスプレー上にイコライザーの波形でハッキリと可視化されますので、耳が信用できなくても目で確かめることが出来ます。(「倍音」については、詳しいサイトが多いので、そちらからご覧下さい)

 

 

 

今、J−POPは高音ボーカル全盛です。いろんなボーカリストたちが、ギリギリの高音で歌っています。これには単純な理由があります。

少しでもキーの高い方が、パワフルに・明るく・ポジティブに・開放的に聴こえるからです。悲しい歌も、高音で歌い上げることによって、悲壮感が増幅されます。なので皆さんがんばって高い声を張り上げている訳です。(私もそう 笑)

 

 

高い声がより過剰になると、シャウト (叫び声) になります。ビートルズ、あるいはそれ以前のロックンロールの時代から、ロック・ミュージックではよく聴く歌唱法です。

 

 

 

ところで、J−POPでは殆ど聴けないけど、洋楽ではよく聴く歌唱法のひとつに、「ウィスパー・ヴォイス」があります。と思いきや、邦楽でも女性のウィスパー・ヴォイスは結構ありますね。ないのは男性の方ですね。

と書いてふと思ったのは、数日前の記事に上げた細野晴臣さん。日本では貴重な男性低音ボーカリストだなあと。

 

 

ロックでは、ルー・リード、イギー・ポップ、デヴィッド・ボウイ…からの伝統で、ボソボソと呟くような男性ボーカルが、ひとつの流れとして脈々と受け継がれています。こういう人たちのように歌いたいのですが、これがなかなか…。

 

 

 

 

 

ルー・リード「ベルリン」細野晴臣「HoSoNoVa」。低音ヴォイスが堪能出来ます。