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【2024年1月26日】ビリー・ジョエルの日本公演をYouTubeで観る

夕食でワインを飲みながらYouTubeのホーム画面に上がっていたのを何気なく観たら、これが素晴らしくて、そのまま数時間、ワインを片手に観続けていました。ビリー・ジョエルさんの、おそらく最後になるだろうと云われている、一夜限りの1月24日、つまり一昨日の東京ドームでのステージです。

 

 

 

何度か書きましたが、中学時代の同級生にビリー・ジョエルさんの大ファンの友人がいて、彼の家に行くと必ずレコードを聴かせてもらったものです。そのレコードは「ストレンジャー」(‘77年) と「ニューヨーク52番街」(’78年) です。

この2枚のアルバムは、洋楽を聴き始めた頃の私の耳には凄く新鮮で魅力的に聴こえました。ダビングしたテープを、それこそ擦り切れる程聴いたものです。

 

 

ライブでは、「ストレンジャー」から5曲、「ニューヨーク52番街」から4曲、演っていました。やっぱりビリー・ジョエルといえば、この二枚です。他のどのアルバムよりも、この二枚から多く歌っていました。

「ストレンジャー」は憂いのある曲が多く、「ニューヨーク52番街」は、かなりジャズのテイストが強いです。どちらも名盤です。

 

 

オープニングは、その「ニューヨーク52番街」から、マイ・フェイヴァリットの一曲「マイ・ライフ」でした。いきなり心があの頃に戻りました。後はヒット・パレードで、9割がた知っている曲ばかりでした。

アンコール前の最終曲は、代表曲「ピアノマン」でした。観ながら、不覚にも涙が溢れました。YouTubeのライブ映像で泣いたのは、いつ以来かも覚えてない程です。

 

 

 

観終わってから、今現在を中学1年の頃から数えると、今年で何と47年経った事を知り驚きました。自曲の歌詞ではありませんが、もう半世紀経ってた、です。それは瞬きするような時間、です。

還暦に足を突っ込んだ今でも、こうして健康な身体で音楽に感動できる心が残っていた事に、本当に感謝です。

 

 

 

 

「ピアノマン」を歌うビリー・ジョエルさん。

 

 

【2024年1月24日】新曲「厄災」(仮) 生まれました!*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

先日、いつも自曲でギターを弾いていただいているg君から、昨年作った「シーシュポスの神話」「ある一日」のギターのデータが送られてきました。早速ダウンロードをしていざ曲中に取り込もうとしたところ、データにアクセス出来ませんでした。いろいろといじってみましたが上手くいかず、結局、再度送ってもらいました。

 

 

それから、外に買い物出掛けた際、足を滑らせて転倒。手に2箇所ほど擦り傷をつくりました。大事に至らなかったのが、不幸中の幸いです。

更に、帰ってから車に忘れ物を取りにいく際に、傘を閉じた時に傘の骨に指の皮が挟まって、またも出血。せっかくの休日なのに運のわるい日だなあと思いつつ、お惣菜の袋を開くと、傾いていた容器から煮汁が溢れていて、他のお惣菜まで汚れてしまい…。

 

 

今日はこういう日なんだと気をとり直し、それからは、湯たんぽのお湯を替える時も細心の注意を払ったり。何とかベッドに潜り込んで一安心しました。

 

 

という一連の出来事を思いつつPCを触っていたら、あれよあれよという間に一曲生まれました。皮肉にも?キャッチーなメロディとノリが良いリズムです。仮のタイトルに「厄災」と名付けました。歌詞はまだですが、曲の骨格はほぼ出来ているので、完成は早そうです。

 

 

 

座右の銘という程ではありませんが、私の好きな言葉に「いい事があればわるい事が起き、わるい事が起きればいい事が訪れる」というのがあります。つまり、人生は公平に出来ている、という事です。ちゃんと人生の帳尻が合うという事です。

災難続きの一日だったので、神様が曲をプレゼントして下さったのかなあと思ったり。

 

 

 

 

職場で雪の合間の晴れ間に雪かきをしていたら、空にキレイなお月さまが。思わずスマホに収めました。さっきの言葉とはちょっとニュアンスが違いますが、普段しない苦労 (雪かき) をしたから、こんなキレイな月が見えたのかなあと。

そういえば昔から、ラクしてるとロクな事がない、とも言われてますね。