実は、一般的に聴かれているメロディがスムーズに流れてハーモニーがきれいで、自然に聴こえるポピュラー音楽の方が、オルタナティヴで難解なロックよりも、アカデミックで数学的で、ガチガチに作られています。
多くのミュージシャンは、そんな型通りの理論の積み重ねが、ともすれば息苦しく感じて、もっと自由な音はないものかといろいろと試行錯誤をしている訳です。
私も、理論と非理論を行ったり来たり彷徨っています。
リスナーは曲を聴く際、無意識にさまざまな期待をします。心地良い和音の登場や、すでに知っていたり気に入っていたりする和音の出現、あるいは、覚えやすいメロディ展開などを期待しながら聴き進めます。それは、ポピュラー音楽が成立するための重要な条件でもあります。(本書より引用)
たまたま今朝のyahoo!ニュースに上がっていたこの本の、上記の引用に目が止まりました。まさしく、ロックは自分の為に歌う、ポップスはリスナーの為に歌う、です。(←昔誰かが言ってたような気がするフレーズです)
時々、有線とかTVとかで、音楽理論の奴隷のような楽曲を耳にすることがあります。音楽理論の奴隷というのはつまり、既存の理論を全く疑わずに、その中だけで作っているような楽曲のことです。リスナーの為に、お仕事として、敢えてそんな曲を作っているのかもしれません。
反対に私が、これはいい!と感じるポピュラー音楽は、既存の理論上で鳴っていても、それを越えようという意思や工夫が感じられる曲です。
メロディでもリズムでもアレンジでも音色でも声でも、何でも構いません。ほんの少しでもいいので、オルタナティヴな要素がないと、それは単なる焼き直し・停滞、です。音楽に限らずですが、理論は超える為に存在するのだと思います。
この本はその足掛かりになりそうな内容が書いてありそうです。