【2020年10月10日】ちょっと早いですが。。アルバム・タイトル「kisetsu.(キセツ)」について

最近ようやく秋らしくなってきました。朝夕めっきり涼しくなり、ブタクサ (毒々しい黄色に実る草) があちこちで色付いてきています。

 

 

私の子どもの頃は、今ぐらいの季節に赤トンボが飛び回っていた記憶があります。

何故今頃と憶えているかといえば、その頃の10月10日は体育の日で、毎年、住民運動会?(名前忘れたけど、この日は大人も子どもも一緒になって楽しむ運動会があった) の帰りに、赤トンボが群れていた、そんな記憶からです。

夕陽の中で、大量に飛び交う赤トンボ。強烈なヴィジュアルとして、脳裏に残っています。

 

 

 

私の住んでいるところは、石川県金沢市の端の方の住宅地です。少し歩けば金沢市街が一望出来る山に行ける、そんな自然環境に恵まれたところです。でも、そんな田舎でも、昔みたいに赤トンボの大群が秋の空に舞っている、という光景は目にしたことがありません。気温を含めた環境は、間違いなく変わってきていると感じます。

 

 

ほんの数年前までは、自然や季節なんてどうでもよかったんですが、曲を作り始めてから、何故か敏感に反応するようになりました。元々好きだったというのもありますが、多分、歳を重ねての帰巣本能、帰属意識からくるものではないかと。

 

 

 

 

私は小学生の頃から学校が嫌で、思春期には家庭が嫌で、働き始めてからも、会社の人間関係が嫌で、という人なので、実はどこかに属している、という感覚があまりありません。なので、そんな私が何処に帰りたくなるのか・何処に寄り添いたくなるか、となると、大自然 (大地) なのかなあと思います。

 

 

今日明日の天候に一喜一憂して、四季の動きに身を委ねる。透き通った朝焼けや、茜色の夕日に感動する。そうしていると、なんか「自然」の一員になった気分がします。今まで拘ってきた「自分」「自我」すら、どうでもよくなります。

 

 

 

そういう近年の思い・感覚から、作る曲の殆どが「大自然」絡みになっています。まるで昔のお年寄が、俳句を嗜んで季節を味わっていたような、そんな曲たちです。私も歳をとったのでしょう。どの曲にも、俳句でいうところの「季語」が入っています。意図的にではなく、気付いたらそうなっていました。

 

 

 

それで、アルバム・タイトルを最終的に「キセツ」としました。「キセツ」という言葉には、今の私の生活全てが含まれるような気がしたからです。

 

 

この「キセツ」という単語がそのまま入っている曲、アルバム中、2曲あります。「ツチニカエル」「限りなく穏やかに」です。どちらも、とても愛着ある曲です。そしてある意味、アルバムのハイライト曲でもあります。

 

 

 

このアルバムを聴いて、聴いた方それぞれが、自分にとっての「キセツ」を感じて頂けたら嬉しいです。